就活が終わりました

先日、日本での就職活動を終えました。 今年は例年と異なるスケジュールで、僕の帰国が遅れたこともあり、うまくいくか不安もあったのですが、売り手市場の後押しもあってか、最終的に幾つかの企業から内定を頂くことができました。 その中で一社を選択する際、勤務地や待遇などで一時期迷ったのですが、結局最後は「研究職としてのキャリアが積めそうか」に的を絞ることで、納得のいく選択ができたと思います。 進路先は、メーカーから独立した研究機関なので、とにかく何かしらの研究活動ができるであろうことや、企業の研究部門とは違い、目先の営利から少し離れた萌芽的な研究もできそうなことなどが魅力でした。 こちらの記事に書いた通り、ベルギーの企業からも魅力的なオファーを頂いているので、もしかすると春までに心変わりする可能性もゼロではありません。 しかしながら、帰国後2か月経って思うことは、自分が日本を以前にも増して好きだということです。 確かに日本の労働環境は、お世辞にも優れているとは言えないでしょう。 ただそれを補って余りある、日本語と、日本人と、日本の文化への愛着を感じる自分がいます。 極論、自分がどこで死にたいかを考えたとき、日本がいいと思えるのです。 終身雇用制が崩れた現代においても、ファーストキャリアの選択は重要だと思われます。 有難いことに、ベルギーの企業からは返事までにまだ時間を頂いているので、それまで進路のことは頭の片隅で意識しながら、卒業研究に力を入れたいと思います。

June 19, 2016

WindowsにHaskellをインストール時にcabalが動作しない時の対処法

新しいWindowsマシンにHaskell環境を整えていたとき、 cabal update 時に、 cabal.exe: Codec.Compression.Zlib: premature end of compressed stream と表示され、アップデートが進まない現象に遭遇しました。 しばらく四苦八苦していたのですが、ググったらこちらのページに遭遇。 どうやらパスの通ったディレクトリにcabal.exeをおけばよいらしく、 C:\Program Files\Haskell Platform\7.10.3\lib\extralibs\bin にあったcabal.exeを C:\Program Files\Haskell Platform\7.10.3\bin にコピーしたらあっさり解決しました。

May 24, 2016

帰国報告

先日無事日本に帰国しました。 帰国の前日にベルギーの空港でテロがあり、帰国便がキャンセルになってしまいましたが、不幸中の幸いというべきか、パリからの便に空きがあったため、フライトを変更してもらい、無事に帰国することができました。 一昨日に復学の手続きを終え、さっそく残る一年の修士課程に取り組み始めています。 研究活動に加え、就職活動も並行しておこなっているため、しばらくはまた忙しくなりそうです。 元同期がつぎつぎと社会に羽ばたいていく中、アラサーとなった自分が未だ大学に残っている事実に少し焦りを感じなくもありませんが、あまり深刻に捉えず、今年も自分らしい道を歩んでいきたいと思います。

April 7, 2016

(続)ベルギーでの企業研修を終えました

前回の記事では、ベルギーでの企業研修を終えたこと、今後は日本企業に就職していずれは社会人博士を目指したいことをお話ししました。 しかしながら、企業研修を終える間際、上司に以下のことを言われたのです。 「もし君が望むなら、卒業後うちに来てPhDやらないか」 青天の霹靂とはこのことです。 前回お話しした通り、僕の部署では、大学と会社の両方に籍をおき、それぞれから奨学金と給料をもらいながら、PhDの取得を目指している方が何人もおられます。 提携先の大学は、地元のKU Leuvenであったり、イギリスのBristol Universityであったりと様々です。 うちの部署の上司は、そうした産学連携研究のパートナーを見つけるのが得意だそうで、僕が望めばどこかしらの大学の研究室に在籍させてもらい、さらに生活に必要な奨学金も整えてくれるとおっしゃってくれました。 この提案は、僕にとってこれ以上ないくらい魅力的なものです。 なぜならば、前回書いた、博士課程へ進学することのデメリット 最低3年をかけて学ぶ時間的リスクに対して、将来得られるリターンが少ない。 学費を支払う金銭的余裕がない。 研究自体を目的化したくない。 のうち、少なくとも2と3が解決しそうに思われるからです。 2は、会社からの給料と大学の奨学金によって解決しそうです。 それだけなく、日本には民間機関で海外博士に挑戦する人に奨学金を支給する団体が幾つかあり、それらを組み合わせれば、自活どころか、両親への資金援助も可能かもしれません。 さらに、こちらのサイトに記載されている通り、ヨーロッパの大学の授業料は日本と比べて安値な傾向にあるようです。 3は、単純にこの8か月の研修内容を考えると、大学での研究より応用的な研究ができそうだという予感に起因します。 「航空機を制御する」という明確な問題ありきの研究においては、方針も自ずと明確になり、研究のための研究という事態は避けられそうです。 となると、残るは1です。 ここでは「リスク」と「リターン」をどう捉えるかが問題であり、その点でとても悩んでいます。 まず、リターンですが 将来博士の学位を持つことは研究者として自分のキャリアアップになる 海外での正規の労働経験は、グローバルな人材としてのキャリアにつながる 単純に日本での博士取得に比べ金銭的費用が少なくて済む などがあると思います。 次に、リスクについてですが ヨーロッパでの博士取得は4年。自分の場合30歳で博士を取得することになる 30歳になって日本に帰国して、年功序列の社会が自分のキャリアを評価してくれるか不明 4年を海外で過ごすことで感じる孤独感、漠然とした不安 婚期を逃しそう などでしょうか。 特に4つめは瑣末に思われるかもしれませんが、僕には重要です。 なぜならば海外生活で得た一つの帰結として、自分は日本人と結婚したいというものがあるからです。 ここベルギーに住む日本人女性の数は多くなく、その中から結婚相手を探すことは難しそうです。 となると30歳になって帰国し婚活するしかないのでしょうが、おっさんになった自分と相思相愛の関係になる女性に出会える保証はどこにもありません。 またこれは3つめにも繋がるのですが、大切な人に支えてもらわないと、海外生活を乗り切れる自信がありません(甘いことを言っている自覚はあります)。 2つめについてですが、そもそも日本に帰国するのか、という問題があります。 一般に、日本の労働環境はお世辞にも良いとはいえず、文化の壁を克服し、現地に順応さえできれば、将来的にも欧州で生活していくことも、一つのプランとして考えられそうです(これも結婚相手を見つけられた場合)。 また、こちらでは年功序列の文化がほとんどないので、博士習得にかかる時間的リスクも自ずと減ります。 さて、長々と書き綴りましたが、結局どうするかはまだ決まっていません。 幸い上司には、修士を終える数ヶ月前に連絡をするよう言われており、悩むにはまだ時間がありそうです(ただし、日本の民間奨学金の締め切りが8月に来るので、こちらがボトルネックになりそう)。 それまで、日本での就活を通じて、研究職としてのキャリアを探りながら、いずれ決断したいと思います。

March 21, 2016

ベルギーでの企業研修を終えました

昨年の8月から、ベルギーのSiemens Industry Software NVという会社でインターン生として働いていたのですが、今日が研修最終日でした。 最終プレゼンも無事に終わり、いよいよ一年間の海外生活も幕を閉じつつあります。 一年間を通じて、英語を用いた交流経験、エンジニアとしての労働経験、異文化の体験など、日本では決して得られなかった経験ができて、本当によかったと思います。 以下では、得られたこと、これからのことを簡単にまとめたいと思います。 はじめ4か月のアイルランドでの語学研修は、文字通り初めての海外生活でした。 それまで英語で人と会話することがほとんどなかったこともあり、はじめは戸惑い、まともに挨拶もできない状態でした。 しかしながら、時が経つにつれ、これまで学校で学んできた文法や単語の知識が、会話においても十分役立つことがわかり、少なくとも英語での交流を恐れる気持ちは払拭出来ました。 語学学校での授業は、語学力を底上げする大きな助けになりました。 特に、会話における表現とその使いどころについての知識は、その後の企業研修でも大いに役立ちました。 ある程度滞り無く会話ができるようになってからは、各国から来た留学生と、授業後にカフェやレストランに行き、それぞれの国の文化や産業、宗教などについて話すようになりました。 会話の中で驚いたのが、日本という国が、とりわけ産業面において世界に大きな影響を与えており、そのことが広く認知されていたことです。 たとえば、滞在中出会ったほとんどの人が、日本の車や電機メーカーのことを知っていましたし、私が日本で工学を勉強していると話すと、皆口を揃えて、将来はお金持ちになるんだねと言いました。 また、日本が他国と比べてどのような特徴をもっているか、客観視することができたのも、有意義な経験でした。 我が国の外国人比率はおよそ2%であり、世界の中でもとても低い順位です。 互いに文化や宗教の異なる人々がともに摩擦なく過ごしていくには、互いを理解し尊重しようとする努力が欠かせないことを知りました。 つぎに、8月からの企業研修では、航空機の制御シミュレーションに関わるR&Dをおこないました。 私の専門は制御工学であるため、制御に関することはある程度知っていたのですが、航空機そのものについてはほとんど何も知らなかったため、企業研修は、航空力学を一から勉強することから始まりました。 参考文献を読むにあたっては、同じオフィスで働く航空力学を専攻するPh.Dの学生の方達に大いに助けていただきました。 休憩時間などには、研究者として少し先のキャリアを歩む彼らに、進路の相談にも乗ってもらうこともありました。 分厚い教科書や参考文献を一ヶ月近くかけて読み終えた私は、つぎに制御シミュレーションに取り掛かりました。 そこで「航空機のモデルの作成」「制御目標の設定」「制御器の設計」「シミュレーション」というモデルベースドデザインの基本となる一連の過程を経験することができました。 この段階においても、私がすでに持っていた制御についての知識以上のものを習得する機会が多々あり、技術を企業ではどのように展開していくのかということも間近で拝見することができました。 研修期間は、ベルギーと日本の働き方の違いを実感し続けた8か月間でもありました。 ベルギーにおけるライフワークバランスはとりわけ優れていると感じます。 私のオフィスでは、残業することは本人に時間内に業務を完遂するする能力がないことと同等とみなされており、社員は滅多に残業することはありません。 また、日曜にどのお店も空いてないのは、はじめ不便に感じましたが、国民が各々の生活を大事にする上では合理的な習慣であると理解しました。 私は将来研究者として働きたいと考えているため、会社を挙げてPh.Dの取得が奨励されていることも、魅力に映りました。 私のオフィスでは、会社と大学の両方から給料を受給しながら博士課程に取り組む社員が少なからずいました。 このような仕組みは、今後あらゆる産業に高度な付加価値や生産の効率化が求められる中、産学連携での研究を活発にする上で、有効な仕組みであると感じます。 日本の博士の称号は「足の裏の米粒」と言われ、技術者として働く上では通常重要視されないこと、取得においては安くない学費を払う必要があることと、対照的に思えました。 さて、帰国後の進路についてですが、正直とても悩んでいます。 本来は、「日本での就活を通じて研究職としての働ける企業を模索し、修了後は働きながらお金を貯め、いずれは社会人博士」といった道を考えていました(過去形である理由は後述)。 まず、ストレートに博士進学を目指さない理由は以下によるものです。 最低3年をかけて学ぶ時間的コストに対して、将来得られるリターンが少ないと感じる。 学費を支払う金銭的余裕がない。 研究自体を目的化したくない。 1について。 上でも触れた、欧州での博士重視の風潮は、裏返せば修士では研究職に就くのが難しいことを意味します。一方日本では、研究職として働く上で、修士卒であることのディスアドバンテージはそこまで大きくないのかな、と感じます。 また、就職すれば、働く中で研究職に対する自分の適性がよりはっきりし、キャリアを再考することもできそうなのに対し、博士に進学してしまったら、退路が立たれてしまいそうなことも、懸念事項です。 2について。 今でも学費と生活費の全てを貯金と奨学金で賄う自転車操業状態であり、これを後3年続けるのは、金銭的にのみならず、精神的に相当不健康です。 両親からは、大学入学以降早々に仕送りを打ち切られ、逆に早く働いて家に金を入れるよう日々プレッシャーをかけられており、援助なんてとても期待できません。 学振などの諸制度にパスできれば、この問題は解決できるかもしれませんが、やはり働いたほうが手っ取り早くお金を稼げます。 3について。 研究室では、研究のための研究がおこなわれていることがあります。 特に僕が取り組んでいた研究テーマは、学術的に面白くはあるのですが、実際社会で使えるかと聞かれれば、首を傾げざるをえません。 企業でおこなわれる、問題解決を目的とした実践的な研究のほうが、自分には合っているというのが、ベルギーでの企業研修で得られた教訓の一つです。 さて、このような理由で、先に述べた「就職後社会人博士」の像が徐々に形作られていたわけなのですが、この度の企業研修を終えた際に、上司からあるお話をいただきました。 それは、「うちでPh.Dをやらないか」というものです。 長くなってきたので、続きは次回。

March 20, 2016