自分には昔から何事においても、与えられた目標に対して最小限の努力でアプローチしようとする悪い癖がある。
この癖は多分、中高の陸上部時代に、きつい練習の中で少しずつ形成されはじめ、いつの間にか凝固してしまったものなんだと思う。
今まではそれでも誤魔化しながらなんとかやってきたのだけれど、今後大きなしっぺ返しを食らう予感もしていて、どうにか直したいと思っている。 そしてそのために「血反吐を吐くような努力をもってして、なお目標を達成できない」という経験は、失敗できる学生時代のうちに必要な経験だと感じていた(自分で書いていてマゾいと思う)。
けれども、そういう努力を要求される環境を積極的に自分で整えるほど、自分はマゾにはなれない。 そこで今回の海外生活に、そういう環境を期待していたのである。

さて、実際に飛び込んでみて、気づいたこと。

まず、これまでの自分の人生の側には、その都度適切な高さのハードルを置いてくれる先生のような役割の人がいて、その人たちのおかげで、今少し高いハードルを前にしても「これまでのように跳べば大丈夫」と思える自信がついてきている。
というのも、こっちに来てから毎日が、言語や文化の違いで戸惑うことばかりだけれど、それら一つ一つは今まで跳んできたハードルに比べれば、多分そんなに高くない。 悲観主義だと思っていた自分の性格が、経験のおかげで楽観主義に寄ってきていることに気づいた。

また、僕が海外生活に期待していたのは、今まで見たこともない巨大なハードルを次々に置かれるような過酷な環境だった。 けれども、現実は期待とは裏腹に、むしろそんなもの誰も置いてくれなかった。
インターンを始めた頃、簡単に感じられる課題と、何をしても褒めてくれる上司を前に、誇らしい気持ちになった。 けれどもすぐに、目標が誰かに与えられるだけの期間が終わり、自分で置いたハードルを自分で跳ぶことが要求されはじめていることに気づいた。
自分でハードルを置くというのは、自分が今できないことと向かい合うことと同義であり、実際やってみると結構きつい。 向かう方向や速度は正しいのか判断する、舵取りとしての技量も必要になり、そこに正解はない。
しかしやはり気持ちはポジティブだ。 きっとこの先、この舵取りとしての技量がもっと求められるようになってくるだろうし、そうなってほしいという期待がある。

まとめると、自分はこれまでまあまあ上手くやってきたし、これからもまだまだ未熟だという、ありきたりな結論に至る。
海外生活も残り5ヶ月。 学んで、考えて、身につけて帰ろう。