概要
先日、2021年4月から始まった社会人博士取得の取り組みが一段落した。 3年で学位を取るという当初掲げた目標は達成したので、結果としては大変満足している。 忘れっぽい将来の自分のために、そして社会人博士に興味のあるどこかの誰かのために、今のうちに体験してみての所感をメモしておく。
なぜ社会人博士を選択したか
多くの人がストレートでの博士進学を躊躇する理由に、経済面の懸念があると思う。 自分もその一人で、当時障害持ちの親から仕送りを急かされていて、そうでなくとも自費での修士の生活にかなり苦労していたため、就職することにした。 修士までに得た知識を活かした仕事をしたく、また研究を生業にすることにはもともと興味があったため、企業の研究所に的を絞った。 いくつかの企業に応募し、最初に内定をいただいたところに入社することにした。
入社後、入学までの経緯
社会人博士を始められたのは、配属部署・上司・受け入れ先の先生のそれぞれに恵まれたおかげである。 配属部署では論文が成果として認められ、大学の研究室と変わらないフェーズの研究が可能だった。 特許化や受託開発を主業とする部署では、博士を目指すのにもう少し時間がかかると思う。 また、上司は配属当初から博士を目指すという私の要望を受け入れ、事あるごとに親身に相談に乗ってくれた。 入学先は巡り合わせで決まった。 社内で新プロジェクトが始まるにあたり、これまで関わりの少なかった数学系の研究室と組むことになり、上司を通して恐る恐る先生に進学可否を尋ねたところ、快諾していただいた(上司に感謝)。
このように運に恵まれた会社生活だが、入学が決まるまで入社から4年かかっている。 後述する私生活との兼ね合いもあるため、やはりストレートで進学できる人はした方が良いと思う。 また、企業研究所から博士号取得を目指す人は、博士進学が可能かどうか、会社の理解がどの程度あるのか、事前に中の人によく話を聞くべきだと思う。
入学後、最初の論文を通すまで
自分は工学の中でも理論よりの分野出身であり、研究室は数学の中でも応用よりの分野だが、使用される数学は難解に感じられた。 はじめ、学部後半向けの教科書から地道に読んで必要な知識をキャッチアップしようとしたが、読むペースが遅すぎて、3年で成果を出すのは難しいと感じた。
このため、途中から勉強は適度にし、とにかく論文を調査して自分にも手が出せる切り口がないか探る方針に切り替えた。 出会った論文を1時間読んでみて「まるで何をしているか理解できない」と感じる時は、一旦保留にして次に進んだ。 そうするうちに、自分にもなんとかエッセンスを理解できる論文の数が増えていった。 あるとき、ある論文と別の論文でそれぞれ提案されている手法を組み合わせれば、拡張が可能な気がした。 このアイデアを先生に相談したところ、Goサインをもらうことができた。
取り組んだテーマは、ある偏微分方程式に対する数値計算スキームの提案とその性能解析である。 計算スキームは既存の論文のアイデアの組み合わせであり、解析に難しい数学の概念は登場しない。 スキームの提案では解ける問題が工学問題として価値があることを強調し、解析においては細部にわたる慎重な式展開を心がけた(結果式番号は150を超えた)。 執筆中、先生には何度も助けを求め、社内の研究者にも助言いただいた。
無事提出できた時には安堵したが、初回の査読が返ってきた時の絶望は今でも鮮明に覚えている。 難解すぎて批判の内容が理解できなかったのだ。 査読対応中は2日に1度先生と打ち合わせし、一から十まで指導を受けながら、何としても期日までの再提出を目指した。 結果、2度目の査読でのマイナーリビジョンを経て、アクセプトを勝ち取ることができた。
博士論文の執筆まで
入学した研究科では、卒業要件に明確なアウトプットの基準が設けられておらず、慣例的に最低1本しっかりとした論文を通していればOKとされている(研究科によっては論文誌に3本以上採択などの条件があるため、慎重に確認すべきと思う)。 このため、1本目の論文の採択後は、より挑戦的な研究を実施することを意識した。
1つに、数学と工学の間にあるギャップを考え、必ずしも数学解析が伴わない形でも解決策を提案する研究を実施した。 この内容は自分の従来の専門分野の雑誌に投稿し、スムーズにアクセプトをいただくことができた。
もう1つに、より解くのが難しい方程式に対する計算スキームと数学解析を試みた。 結果は不完全なもので、一度投稿したがリジェクトだった。 その後内容を見直し、再投稿したが、現在査読中である。
発展的な話題として、機械学習を取り入れた計算手法も提案した。 機械学習の最先端のトピックはレッドオーシャンだが、少し古典的な道具を使うことで、学んだ数学解析を活かした理論結果を導出できた。 このテーマは現在論文化に向けて準備中である。
博士論文では、1本目の論文に加えて、上記の3つのテーマの内容を含めた。 内容に一貫性が欠ける懸念があったが、工学的な目標達成のための多様な手法を提案するという視点で構成した。 この取り組みが功を奏したといえ、発表後は先生方から好意的なコメントをいただけた。
研究を進める上で、指導していただいた先生と、共研に関わった社内メンバーには大変お世話になり、本当に感謝してもしきれない。
どのように生活したか
学位取得に向けた3年間、家庭・仕事・学業に折り合いをつけるために様々な方法を模索したが、結局うまくいかなかった。 特に初期は成果が出なかったため焦りが大きかったが、歯痒い思いをするたびに、優先順位は「1. 家庭、2. 仕事、3. 学業」だと自分に言い聞かせた。
プライベートでは、以前に都内に転勤が決まり、東海地方の妻とは別居婚で生活している状態だった。 これに加えて、入学前に妻の出産というライフイベントを経験し、子どもという大きな不確定要素を抱えたまま挑戦が始まった。 3年間の生活はおおよそ以下の通りだった:
1年目:妻の育休中、妻と子に都内に来てもらい3人で同居していた。自分は在宅と出社の半々で生活していた。
2年目:妻の育休終了後、妻と子は東海の実家に戻り、妻は仕事に復帰し、子は保育園に入園した。自分は都内と妻の実家を2週間ごとに行き来する生活を送った。
3年目:自分の転勤期間が終了後、東海に戻り妻の実家に同居させてもらった。自分は主に在宅勤務をしながら週一の頻度で出社し、月一の頻度で新幹線で通学した。
各年度での生活を振り返ると、1年目は、特に妻のメンタルケアが課題だった。 地元から離れて周りに友人がおらず、毎日の子どもとの生活に気が滅入るようだった。 このため、週末は妻に休んでもらい、リフレッシュしてもらうようにお願いした。 この間、自分は子どもを連れていろんな場所に出かけたおかげで、都内の公園や百貨店の屋上などに詳しくなれた。
家事について、平日の夕ご飯は妻に作ってもらい、それ以外は相談して決めていた。 自分が家にいる間は、オムツ交換・ミルク・お風呂・寝かしつけなどは率先してやるようにした。 食洗機・ロボット掃除機・ホットクック・Amazon Echo・Switch Botなど、時短の道具には惜しみなく投資した。
精神的には、特に入学初期は時間の確保に苦しんだ。 早朝や夜遅くに研究に臨んだ時期もあったが、結局昼間に寝不足になるだけだった。 すでに十分頑張ってくれている妻にこれ以上負担を求めるわけにはいかず、限られた時間で焦りながら文献調査や手法検討をしていた。
2年目は、最も妻に負担をかけた年だった。 妻は時短勤務で職場復帰しながら、保育園の送迎や自分が不在の間の子の世話を全てこなしてくれた。 義父母には、毎晩の夕食と週末の子の見守りをお願いし、妻を支えていただいた。 自分は都内にいる間は出社して仕事しながら学位取得にも集中させてもらい、帰省中は100%在宅勤務で残業をせず、家族との時間を最優先に生活した。
都内にいる間時間ができて集中できたおかげもあり、1本目の論文のアクセプトが決まり、学位取得の出口への光が見えた年でもあった。
3年目は、研究成果は出揃いつつあったが、論文執筆の時間の確保に苦労し、引き続き妻には保育園の送迎をお願いした。 一方、子どもが大きくなったことで、自分と子の2人で隣県まで電車で出掛けて外泊することもできるようになり、妻に週末リフレッシュしてもらう機会を増やすことができた。
3年間を通じて、妻に大変な支援を受けたこと、家族全員に支えていただいたことに深く感謝している。
時間を捻出できた理由
上記から分かる通り、結局プライベートの時間を削って学位取得のための時間を捻出することはほとんどできなかった。 それでも学位が取れた主な理由として「会社と研究室で共同研究契約を結んでいた」ことが大きいと思う。 会社は学位取得と共同研究を切り分ける立場だったが、成果物を明確に区別すれば、共研と学位取得を近い方向性で進めることができた。 学位に関わらない仕事にも並行で取り組んでおり、ストレートに進学した人に比べて時間は不足したが、規則正しい生活と経済的な安心感は社会人博士の利点だったといえる。
なお、このような地盤を整えてくれたのも、上司があちこち交渉してくれたおかげである(改めて感謝)。 また、繰り返しになるが、社会人博士を目指す人は、自分のような体制で取り組むことができるか事前に確認するべきだと思う。
また、我が家においてコロナ禍はプラスに働いた。 以前は例外的な扱いだった在宅勤務が、コロナ禍によって一般化し、家族の急用対応や遠方からの研究打ち合わせに追い風となってくれた。
反省点
第一に、専門性が事前の期待に比べて深まらなかった。 深く学問に没頭するよりは、目標達成に向けて効率的に研究を進める3年間だった。 ただ、難解な数式には晒され続けたので、一見理解が難しい概念に対して、粘り強く取り組み、エッセンスを吸収する姿勢は身につけられた。
第二に、人脈形成の機会を逃していた。 子どもが小さいため在宅を優先し、学会発表を控えめにし、論文投稿に注力した。 その結果、一定の成果は出たが、外部の研究者との連携を深められなかったことは残念に思う。
今後の予定
学位を取るという当初の目標は達成できたが、これで燃え尽きずに、チャレンジを続けていきたい。 具体的には、社内の留学制度の利用を視野に入れながら、社外の研究者とコラボレーションを実現したい。 国内外を問わず様々な研究者と繋がり、パートナーとなってくれる方を見つけたい。 (どなたか一緒に研究しましょう!)
また、一つ前の投稿で、転職活動について触れた。 学位を取った途端転職するのは不義理が過ぎるため、すぐに取る選択肢ではない。 ただ、これまでの研究活動が評価される場所がどこかにないか興味を持っている。 少し調べたところ、今の職場ほどテーマ設定の自由度が大きい組織は少ないと感じており、改めて弊社最高、という気持ちになっている。 これはありがたい事実だが、これに甘えていると将来会社に見限られた時に路頭に迷う可能性が高まるとも思うため、今後は外でも通用するテーマ設計を心がけたい。 この観点は世の中に役立つ研究を実施するためにも重要なはず。 (どなたかスカウトお待ちしてます!)
というわけでこのメモ自体が会社に不義理な感じもしてきたが、もしかしたらどこかの誰かの役に立つかもしれないので、公開しておく。 (今年は会社のリクルータを仰せつかっています。どなたか弊社にご興味ある方、ご連絡お待ちしております!)