昨年の8月から、ベルギーのSiemens Industry Software NVという会社でインターン生として働いていたのですが、今日が研修最終日でした。 最終プレゼンも無事に終わり、いよいよ一年間の海外生活も幕を閉じつつあります。

一年間を通じて、英語を用いた交流経験、エンジニアとしての労働経験、異文化の体験など、日本では決して得られなかった経験ができて、本当によかったと思います。 以下では、得られたこと、これからのことを簡単にまとめたいと思います。

はじめ4か月のアイルランドでの語学研修は、文字通り初めての海外生活でした。 それまで英語で人と会話することがほとんどなかったこともあり、はじめは戸惑い、まともに挨拶もできない状態でした。 しかしながら、時が経つにつれ、これまで学校で学んできた文法や単語の知識が、会話においても十分役立つことがわかり、少なくとも英語での交流を恐れる気持ちは払拭出来ました。
語学学校での授業は、語学力を底上げする大きな助けになりました。 特に、会話における表現とその使いどころについての知識は、その後の企業研修でも大いに役立ちました。
ある程度滞り無く会話ができるようになってからは、各国から来た留学生と、授業後にカフェやレストランに行き、それぞれの国の文化や産業、宗教などについて話すようになりました。 会話の中で驚いたのが、日本という国が、とりわけ産業面において世界に大きな影響を与えており、そのことが広く認知されていたことです。 たとえば、滞在中出会ったほとんどの人が、日本の車や電機メーカーのことを知っていましたし、私が日本で工学を勉強していると話すと、皆口を揃えて、将来はお金持ちになるんだねと言いました。
また、日本が他国と比べてどのような特徴をもっているか、客観視することができたのも、有意義な経験でした。 我が国の外国人比率はおよそ2%であり、世界の中でもとても低い順位です。 互いに文化や宗教の異なる人々がともに摩擦なく過ごしていくには、互いを理解し尊重しようとする努力が欠かせないことを知りました。

つぎに、8月からの企業研修では、航空機の制御シミュレーションに関わるR&Dをおこないました。 私の専門は制御工学であるため、制御に関することはある程度知っていたのですが、航空機そのものについてはほとんど何も知らなかったため、企業研修は、航空力学を一から勉強することから始まりました。 参考文献を読むにあたっては、同じオフィスで働く航空力学を専攻するPh.Dの学生の方達に大いに助けていただきました。 休憩時間などには、研究者として少し先のキャリアを歩む彼らに、進路の相談にも乗ってもらうこともありました。
分厚い教科書や参考文献を一ヶ月近くかけて読み終えた私は、つぎに制御シミュレーションに取り掛かりました。 そこで「航空機のモデルの作成」「制御目標の設定」「制御器の設計」「シミュレーション」というモデルベースドデザインの基本となる一連の過程を経験することができました。 この段階においても、私がすでに持っていた制御についての知識以上のものを習得する機会が多々あり、技術を企業ではどのように展開していくのかということも間近で拝見することができました。
研修期間は、ベルギーと日本の働き方の違いを実感し続けた8か月間でもありました。 ベルギーにおけるライフワークバランスはとりわけ優れていると感じます。 私のオフィスでは、残業することは本人に時間内に業務を完遂するする能力がないことと同等とみなされており、社員は滅多に残業することはありません。 また、日曜にどのお店も空いてないのは、はじめ不便に感じましたが、国民が各々の生活を大事にする上では合理的な習慣であると理解しました。
私は将来研究者として働きたいと考えているため、会社を挙げてPh.Dの取得が奨励されていることも、魅力に映りました。 私のオフィスでは、会社と大学の両方から給料を受給しながら博士課程に取り組む社員が少なからずいました。 このような仕組みは、今後あらゆる産業に高度な付加価値や生産の効率化が求められる中、産学連携での研究を活発にする上で、有効な仕組みであると感じます。 日本の博士の称号は「足の裏の米粒」と言われ、技術者として働く上では通常重要視されないこと、取得においては安くない学費を払う必要があることと、対照的に思えました。

さて、帰国後の進路についてですが、正直とても悩んでいます。 本来は、「日本での就活を通じて研究職としての働ける企業を模索し、修了後は働きながらお金を貯め、いずれは社会人博士」といった道を考えていました(過去形である理由は後述)。 まず、ストレートに博士進学を目指さない理由は以下によるものです。

  1. 最低3年をかけて学ぶ時間的コストに対して、将来得られるリターンが少ないと感じる。
  2. 学費を支払う金銭的余裕がない。
  3. 研究自体を目的化したくない。

1について。 上でも触れた、欧州での博士重視の風潮は、裏返せば修士では研究職に就くのが難しいことを意味します。一方日本では、研究職として働く上で、修士卒であることのディスアドバンテージはそこまで大きくないのかな、と感じます。 また、就職すれば、働く中で研究職に対する自分の適性がよりはっきりし、キャリアを再考することもできそうなのに対し、博士に進学してしまったら、退路が立たれてしまいそうなことも、懸念事項です。

2について。 今でも学費と生活費の全てを貯金と奨学金で賄う自転車操業状態であり、これを後3年続けるのは、金銭的にのみならず、精神的に相当不健康です。 両親からは、大学入学以降早々に仕送りを打ち切られ、逆に早く働いて家に金を入れるよう日々プレッシャーをかけられており、援助なんてとても期待できません。 学振などの諸制度にパスできれば、この問題は解決できるかもしれませんが、やはり働いたほうが手っ取り早くお金を稼げます。

3について。 研究室では、研究のための研究がおこなわれていることがあります。 特に僕が取り組んでいた研究テーマは、学術的に面白くはあるのですが、実際社会で使えるかと聞かれれば、首を傾げざるをえません。 企業でおこなわれる、問題解決を目的とした実践的な研究のほうが、自分には合っているというのが、ベルギーでの企業研修で得られた教訓の一つです。

さて、このような理由で、先に述べた「就職後社会人博士」の像が徐々に形作られていたわけなのですが、この度の企業研修を終えた際に、上司からあるお話をいただきました。
それは、「うちでPh.Dをやらないか」というものです。
長くなってきたので、続きは次回。